受け入れる・受け止める・受け流すを使い分け期待しない生き方


長い事フリーランスをやっていると人の話を聞くことは多々あります。最初の頃は人の話を受け入れてばかりいたのですが何時の間にか受け入れる、受け止める、受け流すを使い分けることにより人の話を聞くことが楽しくなってきたと思います。

私自身の受け入れる、受け止める、受け流すの違い

自分の企画で事を進める場合は「思い立ったが吉日」な人なので直ぐに行動に移してしまい、「おおっ、流れに乗った~」「あぁあ、失敗した~」の自己責任なのでいいのですが、他の人の企画というのはやはり慎重になってしまいます。私なりの受け入れる、受け止める、受け流す基準を業務企画案のお話の場面で改めて考えてみると

受け入れる

相手の企画案に道筋が通っていて、事業計画書等(必要とする予算や資金、固定費、変動費、損益分岐点まで計画性有り)の形として見えるものがしっかり備わっていること。また、私自身が同じ立場になって考えてみたときに共感、価値観が重なって見えるものでありどのような形でサポートできるか提案できる場合

受け止める

相手の方のお話に道筋が通っていても事業計画書等の形として見えるものが無く漠然としている。私自身が同じ立場になって考えてみたときに共感、価値観が重なって見えるもの何をサポートしていいのかまだわからない場合。

受け流す

相手の方のお話に道筋が通っているように見えても、事業計画書等が無いため検討ができないなど私自身が同じ立場になって考えてみたときに何も形が見えてこない場合

いつもどのように判断するか

文章で書くのは簡単なことだけど目の前でお話しされている時に瞬時に判断していくことはかなり難しいことでしょう。

私の場合は一旦「受け止める」に留めておき、仕事場に帰ってから冷静になり同じ立場によりも一歩下がって改めてお話の内容を振り返りその話を「受け入れる」「受け流す」か判断する流れにしています。

最初から「受け入れる」体制でいるとそこにはやはり”期待”又は”依存”というものが生まれます。

”期待”がそのまま形になっていい方向に向かえばいいのですが何らかの影響で”期待する”が外れてしまった時点で聞いていた話と違うというマイナスの感情が生まれてしまいます。

その方に対してマイナスの感情なんてできれば持ちたくありません。

また「受け入れる」ばかりだとあれもこれもとなってしまい私自身の容量不足になってしまいます。

やはり仕事は楽しんで進めたいものです。

企画案を形に変えていくサポート者として

私自身が「受け止める」から「受け入れる」に判断した場合は私自身の責任でもありますし、企画が成功しようとも、失敗しようとも楽しんで誠心誠意サポートさせてもらいます。「百聞は一見にしかず」経験として記憶に残っていきます。ただそこには”成功せよ”の願いはあっても「期待」はいかなる時も含まれません。

「受け入れる」も自由

「受け止める」も自由

「受け流す」も自由

フリーランスは自己責任ですが

「期待しない」「依存しない」

生き方は必須になります

難しいですけどね

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