2020年2月までは毎月一回はご先祖様のお墓参りに行っていたのですが自粛モードになり行く頻度が少なくなり3ケ月に一回程度に。本日は業務がお休みでゆっくりしたいところだったのですが、朝目覚めて行かないといけない衝動に駆られソワソワ。天気もいいし、久々に一人で行くことにした南洲墓地。こちらには1877年(明治10年)西南戦争で戦死した西郷隆盛をはじめ2023名の将士が眠っています。
南洲墓地、南洲神社、その他まとめて南洲公園
小学校5年生までは南洲公園下の大瀧小学校に通ってたことももあり、学校帰りに南洲公園を抜けて帰ったりと親しみ深い公園でもあります。
桜島を高台正面から見る最高のスポットとしても好きです。
コチラではここ数日に桜島の火山灰が降ったりしていたようで
墓石をゴシゴシ洗い流したり
お花を入れ替えたり
お水を入れ替えたり
久々に綺麗になったようです
これだ!!行かないといけない衝動の原因は
最後にお線香をあげて
西郷隆盛さんのお墓にもお線香あげて
両方のお墓に
日頃の感謝で手を合わして参りました
南洲神社で参拝
明治10年(1877年)9月24日、官軍の総攻撃によって西郷隆盛以下薩軍が全滅し西南戦争が終結すると、鹿児島県令岩村通俊は官軍の許可を得て西郷隆盛らの遺体を鹿児島市内5か所に仮埋葬した[2]。明治12年(1879年)になり有志によってそれらの墓を旧浄光明寺境内である現在地にまとめて改葬し、その後、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集めて計2023名が葬られる「南洲墓地」となった。西郷隆盛の偉徳を敬崇してその墓に参る者が年々増加したことから、明治13年(1880年)、南洲墓地の隣に参拝所が設けられた[2]。大正11年(1922年)6月28日、「南洲神社」として無格社に認定された[1]。昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、昭和25年(1950年)9月に再建された。昭和53年(1978年)、墓地の隣に西郷南洲顕彰館が建設された。
ウィキペディアより引用
食・雑貨和かふぇ「なんしゅう」へ
晴れてはいるけど風が肌寒かったのでお墓参りと神社への参拝が終わった後に併設の古民家風の和かふぇへ
店内に入ると落ち着いたジャズが流れ、木のぬくもりがするホッとする空間
いつ行っても落ち着きます
お店の奥には和風の雑貨がたくさん並んでいます
ついついあれも、これもと欲しくなってしまいます
店内の雑貨をキョロキョロ見て回っているとホットのカフェ・ラテが来ました
店内の窓からお墓を見ていると
日曜日の影響もありますが
手を合わす方が
途切れることなくいらっしゃっているようです
フードメニューもありますし、ワークショップ等も開いているようです
インスタグラムのプロフィール欄にて営業日、休業日等を更新されるようです
くつろぎの癒しスポットとして訪れてみるのもいいですね
静かな場所でお気に入りです
今日の桜島
パソコン業務と並行して異なる業種の「トラックの運び屋」委託請負いがあります。鹿児島中央駅を中心に東西南北日々動き回り時間調整で寄り道したりしています。時々他県有りますが軽ーく紹介出来たらいいなと思います。2021年12月よりインスタと並行しながら鹿児島を紹介していきます。根っからのフリーランスON/OFFを切り替え楽しみながらコロナ禍を乗り越えて行きます!
かずさんKeyword:昭和/水星人マイナス/八白土星/虎/A型/フリーランス/WordPress/FileMaker Pro/Illustrator/中型免許(8t限定)/鹿児島市/